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【2007.01.31 Wednesday 】 author : スポンサードリンク
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「みっともない」と「さもしい」の間
1940年体制「を」もたらしたモノと「が」もたらしたモノ
           N氏の試論による

    「みっともない」と「さもしい」の間 

週間S誌に連載中の「戦時体制 いまだ 終わらず」という特集は、1940年前後に主として、当時の革新官僚たちが準備した総力戦のための国内法と制度整備は、明治期に始まる、いわゆる天皇制国家と断絶があり、いわば1940年体制ともよぶべきもので、かつ敗戦後も連続しており、それが高度経済成長とうの戦後の形を、結果として準備したという論である。
私にそれの当否を論じる能力もその気もない。
しかし、読むと最初から目からウロコの連続で、この国の経済に新聞でしか付き合わないような私にも、わかりようが無かったことがらでも「あー。そうだったのか、そう言われれば、そうだ」と納得させられ続けてしまった。
著者は「超――」というシリーズのベスト・セラーが多数ある、著名な経済学者であるN
氏である。
彼は1940年生まれで、私よりも7才ほど年上である。その7年間の差は大きいらしく、彼の体験した世界は私とは随分時代が異なるという感じがするし、それから当然活きた場もちがう。彼はT大の工学部を卒業して、工学部の大学院在学中に経済学に興味をもって、独学で勉強して、公務員の経済部門での、上級職試験に合格して、大蔵省に採用されてキャリヤー官僚として、人生を始めた。そして、働いている時に、奨学金を得て、2度にわたって、USAに留学して、経済学修士・M.A.、と博士Ph.D.の号をうけている。
その後、帰国して大学に職を得て、現在に至っている。
この経歴をみて、今までと異分野(彼の場合は経済学)のものごとに興味をもつこと自体が、先が見えているからだろうとおもう。それから、留学から帰国した時にこの国に「違和感」を覚えたということは、この国を客観的に視られるという可能性を示唆しているのではないか。結果として、複雑な現代社会を複合的にみる視点をもてるのではないだろうか。同一職場、分野にいて、みえる社会は、ある側面からだけになり易いことは、普通の能力だったら、当たり前のことだろうから。、
繰り返すと、特集を読んで、私には目からウロコの連続であった。そのウロコの落ち方を是非、何方かに読んで貰いたいと思ってblogにした。。
目からウロコの一例をあげる。私の家は戦前期、小規模な在地地主であった。家の裏には小さな倉があり、小1の時に、何か宿題への私の対応が悪かったらしく、怒った父にその倉に入れられたことがあった。それから、数年経った頃に、集落にも各農家が米麦をもちよる倉庫という立派な建物ができたが、子供であった私には収穫物を収納するのに、なぜ?二つの建物がなければならなかったのだろうかという疑問が生じたが、それが解決されることは無かったが、N氏の」おかげで目からうろこになった。
戦前期の農村では、地主の所有地の小作農家は収穫物の約半分を現物で地主に収めた。それが私が入れられた裏の倉である。
そのシステムが、1939年の「小作料統制令」と42年の「食料管理法」によって根本的に変えられた。小作・自作農家が生産した全てのものを、一ヶ所に集めて、役人が買っていく「供出」というかたちになった。小作農家は生産物の売り上げの中から、現金で、地主におさめるようになった。そして、2重価格制(地主からは安く、小作農からは高く買い取る)と小作料が名目で据え置かれたために、1942年には50.5であった小作料負担は45年には、18.3%にも低下したのだという。
そして、1947年の第一次をへて50年の第2次農地解放によって、194万haの農地が420万戸の農家へ低価格で売却された。、、
この二つの過程をへて、戦後農村社会では、「自作農」という社会階層が創出されていった。
前段の食管法は総力戦用の食料確保を画す軍部と官僚によってなされた。特に陸軍内部にはその壮丁供給のための、農村を健康にしなければ為らないという考えは、歴史的に存在した。
後段の敗戦後の「農地解放」は、一部の農政官僚が、占領軍の威光を背景に実施した。戦中から国会では、農地解放をめぐって、小作制度を無くしたい官僚層と地主を基盤とする政治家の争いがあり、法案は戦前期のやきなおしであり、暦史本にあるような、日本民主化のために占領軍が発案したものではない。そして、一部の農政官僚の劣悪の状態に置かれている、小作農を解放するという理想主義という作為の背景には、「講座派」という学問派閥があった。
うーん、ウロコ。
とにかく、自作農は戦後農村社会のほとんどとなり、初期には食管法は安い主食を消費者に供給してきた。ある時期まで。
ところが、開放された後の農地は集約されることは無く、結果として生産性は上がらずに、他の産業との農業所得の差を少なくするために、消費者へ売却する米価より生産者から買い上げる生産者から高く買いとる、いわゆる「逆ザヤ」が定着した。そして、、農水省の末端の食料事務所の公務員は存在し続けたことは、記憶に新しい。
ある社会層が形成されると、その維持のために自動運動が繰り返すという例である。
ところが、社会層の創出などという言葉を使ったが、創出が行われている場は単純に過程が進んだのでは、無いだろう。
そういえば、前記した私が倉に入れられた頃には、年末には必ず、戦前期小作であった方が、決まった日に「餅つき」に現われた。その人の立ち居・振る舞いは律儀なもので、「この頃の奴は、駅前の立ち食いうどんを、他人の前で食っている。そんな、ことは昔は無かった」などと言っていた。その小父さんが、餅つきに来なくなってから数年して、態度が大きいと有名な自治会長になった。
そういえば、私の村でも政争が激しくなった時期があったが、その背景にはそれぞれの出身階層が、戦前期の地主と小作の違いがあった。
この餅つきに来た小作であったおっさんのメンタリティーについては、1940年体制「を」もたらしたモノとして、後日扱いたい。社会層の違いが、心の「溝」に反映しているということであろうか。
彼の人前では食べる姿を見せないという姿勢は、「みっともないことは、見せられない」という態度であろう。少し、考えてみると、このみっともないは、多分に他者から、の目を気にしている内面で生じた意識なのだろう。本人が意識化しているかどうかはべつであるが。
ところで、先ほど逆さやの米価による、農家への所得保障について、述べた。、
戦後農村では、都市周辺の宅地化を除いて、農地は流動化せず、内地(北海道以外)の自作農は、平均1ha以下の経営規模のままであった。土地を売らないという時には、「先祖以来の土地だから売れない」という言葉が使われた。実際には数年前に地主から安く買ったものにも関わらずではあったが。
その結果として、農業生産は上がらず、私どもより、0・5世代以上の主として、2・3男坊を農村に吸収しきれず、彼らは都市へ追い出された。その一例が、集団就職である。そういえば、「ああ、上野駅」を歌った「井沢八郎」が亡くなった。享年、69才とのことだった。
彼らの多くは、第2次産業に吸収され、工場労働者になった。そこで、彼らはそれなりの現金収入を得た。ところで、戦前期彼らの父たちの時代、農村社会で、おくる消費生活は、江戸時代と大差なかったかもしれない。工場生産のものは被服とう限られたものだったかも知らない。
彼ら、戦後の2・3坊たちは朝鮮特需から、発ちあがってきた日本の工業の担い手であるとともに、対象・消費者でもあったのである。要するに、国内市場規模が拡大したということである。その規模拡大は、工業のコスト・ダウンにつながり、そのダウンが。対ドル、360円と安く固定された為替の追い風も受けて、輸出競争力を獲得していったということのようだ。
私は現在の日本経済の態様から、漠然と戦後日本経済の復興・拡大は輸出によるものだと、思ってきたが、事実はちがうのだという。また・ウロコ。
ところで、この規模拡大に消費は美徳だとでもいいそうな、アメリカのドラマをたれながした、読売・日本テレビを中心としたマスコミの力もおおきかったのだろう。
この規模拡大を可能にした経済エネルギーは、生産現場を含めた社会に忙しさを与えた。
そして、この企業の規模拡大をまかなう株式の増資は「額面発行」であった。例えば、200円した自社株も50円の額面で、株主に割り当てられた。会社には、額面の50円しか入らないから、企業活動で利益をあげた分は、配当に回すよりも、次回の増資を可能にするような設備投資に使われた。そこでは、配当を低くしても、あまり文句はいわれないのである。結果として、規模の拡大をめざすが、内部留保は少ない企業体質ができあがる。企業規模の拡大をもたらす「忙しさ」は、内部留保という儲けの少ない「余裕の無さ」を伴うものであった。、
そして、落ち着きのない社会が出来上がってくる。
そして、農村で地主層を無くならせたように、都会では華族、財閥家族、が富裕税を払えなくて、姿を消して、「無階層??社会」が到来した。
人様を上層から見下ろして、その秩序維持を阻害する感性を「はしたない」と否定する輩がいなくなって、せいせいしたが、ついでに戦後世の中は「みっともない」という他者を意識した、他律的な規範意識も希薄化した。。
で、どうする?
次回blogは、代を継ぐということ話ができたら。。
【2007.01.31 Wednesday 10:16】 author : 有玄
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